、戸田観光協会主催の〝ごぜ芸能まつり〟に行って来ました。
こんばんは、岩井茂樹です。
昨日の午後は戸田まで足を延ばし、戸田観光協会主催の〝ごぜ芸能まつり〟に行って来ました。
瞽女(ごぜ)とは、江戸時代から昭和の初めごろまで、三味線を手に全国各地を流し歩く目の不自由な女性の旅芸人のことで、遠く戸田の地にも訪れていました。戸田で地域の人々を三味線で楽しませ、修善寺に向かう途中、戸田峠の山道で大雪に遭い亡くなった瞽女を村人たちが手厚く葬ったことからこの供養祭が始まったそうです。
戸田と言えば、今年の7月にロシアの国会議員団が戸田を訪れ、日露の議員会談が行われました。
この交流のきっかけになったのも、嘉永6年(1853年)に伊豆下田を訪れたロシアの軍艦のディアナ号が富士市近くの駿河湾沖で大しけに遭い沈没し、助けられた船員を戸田村の村人が人情豊に面倒をみたことから始まりました。
この二つの共通点・・・あらゆる人に情け深く親切である・・・この地域の人々の気質だと思います。
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